こんばんは管理人です。ついに、ついに文章練成神が戻ってキターーーー!!
というわけで、これからは少しは更新ペースが元に戻りそうな予感です。長い間休みがちですみません。
只今福島第一原発が大変なことになって、被曝覚悟で放水活動に当たられている消防庁や自衛官、機動隊、東京電力社員や協力会社の皆様たちに深く感謝しています。今は大変なことになってますが、作業されている人は誰も被曝でひどい目に遭いません。何十年先も健康に暮らし、メルトダウンを食い止めた英雄として尊敬され続けます。
そう確信しています。
しかし、防護服が外部被曝を完全に防止できないというのを始めて知って愕然としています。(あれは内部被曝を防止するもの、らしい)
放射能を制御できない、無害なレベルまで分解できないどころか、完璧な防護服もなければ最終処理地もない状態で原発を造るって無謀にも程があると思いますが、余りあるほど莫大なエネルギーを生み出す魅力には敵わないのでしょうね。特に日本は情勢が複雑な中東の石油に依存してるわけで、しかも武力も持てない状態です。エネルギー確保のためには形振り構ってられないのは、痛いほど分かります。
原発反対と叫ぶのは簡単ですが、それじゃあ経済三流国まで落ちて中国に吸収されるか、アメリカのように中東を脅したり攻撃して、一般人を空爆で殺して、血で血を洗う抗争に身を投じて良いのですかと問いたいです。
そんな度胸も覚悟もないのに、ただ反対ハンタイで通じるほど世の中甘くない。
原発なら真っ先に苦しむのは自国民だし、利益は凄いので、相対的に観ればマシな道だとは思います。ただ、やっぱり代価はとんでもない。放射能を自在に分解したり合成したりできる技術を・・・なんて言いませんが、せめて完全防護できる技術を確立するまでは現状で打ち止めしたほうが良いような気がしますがどうでしょうか。
文明大国であるための重い代価を、いま払わされている。そう思います。その代価を最前線に押し付けているのが申し訳なくて仕方ないのです。
その一方、政府の保身最優先の態度はもちろん、原発担当官僚である保安官や東京電力のエライ人にも批判が集中しています。
「日本人は現場は優秀だが上は碌なもんじゃない」
などという声も上がっているようです。
しかし同じ日本人で、本質的には似たような精神構造を持っているはずなのに、なんで上が碌でもないのか、思いついたことをつらつらと書いてみます。
一言で書けば「責任が複雑すぎて曖昧化している」からだと思います。
特に大きな企業や政府は組織が巨大なので、「この案件の責任を負うのは誰か」ということが曖昧化しがちです。責任を負って挑む組織は上も下も立派なのは、東京消防庁を見ても明らかです。
最前線が優秀なのは、責任をしっかり背負って最善に導くよう必死に努力するからです。同じ日本人である限り、「責任を負い、逃れることは人間としての恥である」という状況にあれば、地位や能力に関係なく相応の努力はすると思うのです。
だから、責任を誰が見ても分かるように明確化して「この責任は私にある」というのを上の人たちに自覚を促すのが最適だと思います。これで言い逃れはできませんし、責任も誇りも沸くでしょう。
ただ、エライ人ほど背負う責任は重く複雑になります。
あるエライ方とお話をしたことがありますが、「俺たちの判断ひとつで、どれだけ多くの人の運命を左右することだろう」という趣旨の話を伺いました。
その人はすべてを背負って戦い続けてます。全員がそんな人なら問題ないのですが、やはり偉くなるとお金や地位など利点も多いわけで、その利点ばかりを追い求めてしまうのも分からないでもありません。
確固たる思想がない限りは欲に流されてしまう、それほど欲というのは強いです。
だから、逃げられないように明確化して、そしてその人の範囲内なら自由にする、という状況にすれば、上の人も変わっていく・・・・・・・かもしれません。偉い人の仕事は複雑だから難しいんですけどね。。。
拍手ありがとうございました!